MILANO
  ミラノ:イタリアンファッションの発信地
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ミラノ
Milano
Region: LOMBARDIA
Province code: MI
Zip code: 20100
Phone area code: 02
Distance from ROMA 575 Km / 357 Miles
Elevation: 122 mt / 401 feet

Tourist Office
Address: Via Marconi, 1
Phone: 02-809662
写真集

スフォルツァ城(ミラノ)
スフォルツァ城

ミラノのドゥオーモ
ミラノのドゥオーモ

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(ミラノ)
ガッレリア

スカラ広場のレオナルド・ダ・ヴィンチ像(ミラノ)
スカラ広場

スカラ座(ミラノ)
スカラ座

ブレラ絵画館の図書館(ミラノ)
ブレラ絵画館の図書館

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ミラノ
この写真は 2003 年 4 月、ミラノの Galleria Vittorio Emanuele U
(ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア)前
で幸が撮ったものです。
ミラノ ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア
Milano
◎ミラノ
 ミラノはイタリアで一人当たりの収入が一番多い町らしいです。南イタリアから北イタリアへと観光バスで移動中、添乗員さんも働き者が多い町だと言っていました。そう言えば、窓から景色を眺めていると、南イタリアのちょっと寂れた感じがなくなっているような…。南北経済格差の激しいイタリアならではの車窓の変化だと思いました。ポー川 Po 中流北岸に広がる肥沃な農業地帯であるロンバルディア平原の戦略上重要な位置にあるミラノは、幾つかの主な輸送ルートが交差しているので、中世以来ずっと国際的な商業、金融、工業の中心地。ロンバルディア州 Lombardia の州都です。

 ミラノという名の語源である、 Mediolanum は"平野の中心 in mezzo alla pianura "という意味で、紀元前 222 年からの戦いでミラノを征服したローマ人も引き続き Mediolanum とこの地を呼んだそうです。因みに、 Mediolanum の語源には諸説あり、"羊毛を持つ雌豚"という意味のラテン語 di medio lanae だとする説もあります。ケルト族を起源とするミラノには、ケルトの物語に出てくるこの奇妙な動物の話も伝わっていたのでしょう。古代ミラノのシンボルであったこの動物は、今でも市の旗などに見られるそうです。

 ミラノは、 305〜402 年まで西ローマ帝国の首都となったこともあり、北イタリアの聖地でありました。 313 年にコンスタンティヌス1世 Costantino / Constantine I がミラノに勅令を与え、キリスト教を容認します。 374〜379 年まで町の司教は、彼が書いた祈祷式文とその雄弁さで知られる、聖アンブローズ Aurelius Ambrosius / St. Ambrose( 339-397 )でした。5世紀にはフン族、6世紀にはゴート族によって、深刻な被害を受けたミラノは、569年にロンバルディア人によって征服されます。

 ミラノは 12 世紀になると自由な自治都市となり、徐々にロンバルディアの都市を従えていくようになりました。白い王冠によって保護され月桂樹と樫の枝が側面に配置された、白地に赤十字のミラノのシンボルマークが作られたのは、ミラノに自治都市が形成された頃の 1045 年に遡ります。市民と貴族階級の争いが平和に解決したのを受けて、市民の色である白と、高貴な色である赤を組み合わせた新しい旗が創造されました。

 ミラノは 11〜13 世紀、国内の争いに苦しみます。貧富、教皇派(グェルフ)と皇帝派(ギべリン)、ライバル都市との対立です。そして、 1162 年に神聖ローマ皇帝フレデリック1世 Federico I / Frederick I ( 1123-1190 )によって破壊されますが、 1176 年にミラノはロンバルディア同盟 La Lega Lombarda / the Lombard League の一員としてフレデリック1世を打ち破り、 1183 年に講和を行って町の独立を果します。しかし 13 世紀にミラノは共和政体の特権を失いました。最初はトッリアーニ家 Torriani 、次いで 1277 年にはヴィスコンティ家 Visconti によって支配されます。

 ミラノ公爵の称号を皇帝から受けたジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ Gian Galeazzo Visconti ( 1351-1402 )の治世下で、ミラノはイタリアで最も重要な国家の1つとなりました。 1386 年に彼がドゥオーモ Duomo の建設を始めます。完成したのが 1813 年。ちょうどナポレオン1世 Napoleon I ( 1769-1821 )によってミラノが支配されていた時です。ドゥオーモを目の当たりにして、それだけ製作年数がかかっているのに納得しました。ホントにスゴかった。まさにゴチック建築の傑作!(でも残念ながらちょうど改修工事中で、正面の完全な姿は見ることができなかった。) 135 本の尖塔、無数の彫像が装飾されたドゥオーモの屋根の一番高い所には、黄金の聖母マリア像があり、ミラノを保護しています。 52 本の巨大な柱で仕切られた大聖堂の内部も荘厳で素晴らしく、物凄いものを作るなぁと感激しました。

 ミラノでは、 1477 年にヴィスコンティ家の男系が途絶えた後、スフォルツァ家 Sforza がミラノ公爵となります。1482 年にフィレンツェ Firenze からやって来たレオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci ( 1452-1519 )が、ルドヴィコ・イル・モーロ Ludovico il Moro と呼ばれたルドヴィコ・スフォルツァ Ludovico Sforza ( 1451 or 1452-1508 )に仕え、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 Santa Maria delle Grazie に世界遺産の『最後の晩餐 L'ultima cena 』を描きました。(この絵の見学には電話予約が必要。)また、ダ・ヴィンチは 1466 年に完成したというスフォルツァ城 Castello Sforzesco の建築にも携わっていたそうです。ドゥオーモ広場 Piazza del Duomo から、素晴らしいアーケードであるガッレリア Galleria Vittorio Emanuele Uの通りを真っ直ぐ抜けると、レオナルド・ダ・ヴィンチの像が立つスカラ広場 Piazza della Scala に出ます。

 ミラノは、イタリア戦争 le Guerre Italiane / the Italian Wars ( 1494-1559 :一六世紀前半、フランス王フランソワ一世とドイツ皇帝カール五世がイタリアの支配権をめぐり四度にわたって戦った戦争。ドイツの優位のうちに終結、イタリア・ルネサンスの衰微を招いた。「大辞林」)に巻き込まれ、1535年にスペインによる支配が始まります。スペイン継承戦争 Guerra di successione spagnola / the War of the Spanish Succession ( 1701-1714 )が終わると、次はオーストリアによる支配( 1713-1796 )。ナポレオン1世に征服されますが、1815年に再びオーストリアの統治下となります。リソルジメント Risorgimento と言われる、 19 世紀イタリアの国家統一運動において、主導的な中心地であったミラノは、 1861年にイタリアに組み込まれた後、その工業の重要性を増していきました。

 ミラノは第二次世界大戦で広範囲に連合国軍による空襲の被害に遭ったそうです。ミラノには現在も美しい建築物が残っているのですが、もし戦争が無かったら、もっと美しい町だったのではないかと思いました。 1943 年の空襲で破壊され、 1946 年に再建されたというスカラ座 Teatro alla Scala も、そんなことを思わせる建築物の1つ。(この建物も改修工事中だったけど。)大戦中、焼夷弾で破壊されたブレラ絵画館 Pinacoteca di Brera は、 1970 年代に「偉大なるブレラ」という復興プロジェクトがなされ、国際的価値の高い美術館という嘗ての役割を取り戻したそうです。パリ Paris のルーヴル美術館 Musée du Louvre やオルセー美術館 Musée d'Orsay に比べれば、こじんまりしていましたが、そのお陰で観易いし、北イタリアのルネサンス作品を堪能でき、とてもよかったです。その図書館も『 美女と野獣 (1991) BEAUTY AND THE BEAST 』や『 娼婦ベロニカ (1998) DANGEROUS BEAUTY 』を思わせ、とても素敵でした。

 ミラノ(人口約 145 万人)は、首都ローマ(人口約 280 万人)に次いでイタリア二番目の大都市ですが、実質上はここが首都のようなものだそうです。メディアの帝王、現首相のベルルスコーニ氏 Silvio Berlusconi は何てったって、サッカー・チームのACミラン AC Milan の会長だし、繊維、機械、化学、印刷、自動車、航空機、ゴム製品などの工業も盛ん。ヨーロッパの最も重要なシルク市場の一つであるミラノは、ファッションの町としても有名です。町を闊歩する人の中に、モデルではないかと思うような綺麗な女性もいました。物流の中心地では人々も交じり合います。ラテン系、ゲルマン系等の血が混ざっているのだろうと思われるミラネーゼ Milanese (ミラノ人)には、キレイな人が多いのかもしれません。

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このイラストは、<http://www.milanoinfotourist.it/home.htm>
から引用しています。
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幸田幸
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