| ヴァティカン市国 |
| La Santa Sede |
Region: LAZIO
Province code: RM
Zip code: 00100
Phone area code: 06
Elevation: 20 mt / 66 feet
Tourist Office
Address: Via Parigi, 11
Phone: 06-448991
ヴァティカン市国はローマ内にあるので、以上はローマの情報です。 |
| 写真集 |

サン・ピエトロ寺院

スイス人の衛兵

サン・ピエトロ寺院の天国の扉

サン・ピエトロ寺院の中

サン・ピエトロ寺院のモザイク

ラファエロ「キリストの変容」のモザイク

サン・ピエトロ広場

ヴァティカン市国の国旗
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ヴァティカン市国
この写真は 2003 年 4 月、ヴァティカン市国の Basilica di San Pietro
(サン・ピエトロ寺院)前で幸が撮ったものです。 |
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La Santa Sede ( Città del Vaticano )
◎ヴァティカン市国 |
ヴァティカン市国はイタリアの首都ローマにある世界一面積の小さな国。中学生の頃、地理のテストに出るマストアイテムの1つでした。しかし、それだけで他は何も習わなかったような…。この世界一ユニークともいえる国を旅行で訪ねる前にもっと調べておくべきだったと今反省しています。この国かなり面白い!「
CIA The World Factbook 2002 」というサイトを見て、ヴァティカン市国
Vatican City は、法王聖座 Holy See とも言うことを初めて知りました。勉強不足デス。日本の外務省HPによると、ヴァティカンとは、法皇を首長として世界のカトリック教会を支配する法王聖座と、法皇を国家元首とする独立国家たるヴァティカン市国の聖俗両面の総称ということだそうです。(因みに同HPによると、日本との関係の始まりは
1549 年のフランシスコ・ザビエル鹿児島上陸。ヘェ〜って感じ。)
ヴァティカン市国の一般的な外交用語であるフランス語だと、ヴァティカン市国は
La Cité du Vatican、法王聖座は Le Saint-Siège
、業務用語であるイタリア語だと、ヴァティカン市国は
Città del Vaticano 、法王聖座は La Santa
Sede です。ヴァティカン市国という名前は、公用語であるラテン語の
Vaticanus ("ローマ Roma / Rome のテヴェレ川
Tevere / Tiber 西岸の丘"という意味らしい)に由来しているそうです。
ヴァティカン市国の元首は、 1978 年 10 月 16 日以来、第 264
代目のジョヴァンニ・パオロ2世(ヨハネ・パウルス2世/ジョン・ポール2世)
Giovanni Paolo II / Ioannes Paulus II / John
Paul II(本名カロル・ヴォイティワ Karol Wojtyla
)です。ポーランド出身のパオロ2世は、共産圏から初めて選出された法王だそうですが、冷戦がすっかり終わってしまった今となってはどうでもいい枕詞かもしれません。ローマ法王は、サン・ピエトロ寺院
Basilica di San Pietro / Saint Peter's Church
のシスティーナ礼拝堂 Cappella Sistina / Sistine
Chapel で行われる枢機卿の互選によるコンクラーベ
conclaveという教皇選挙会議(礼拝堂からの煙で民衆は選挙終了の如何を知ることができる。)で選ばれると、死ぬまでローマ法王です。
1920 年生まれの現法王は高齢のため、健康が心配されていますが、いつまでもお元気でいていただきたいものです。
ヴァティカン市国のローマ法王を護衛するのが、スイス人の衛兵
Corpo della Guardia Svizzera / Swiss Guards
Corps です。スイス中部のカトリックの州からリクルートされた彼らは、ミケランジェロ
Michelangelo Buonarroti ( 1475-1564 :イタリア盛期ルネサンスの彫刻家・画家・建築家。ドナテロ・クエルチアらの彫刻を学び、人文主義的教養をもつ。「バッカス」「ピエタ」「ダビデ」などの大理石像に天分を示し、またシスティーナ礼拝堂の天井画「創世記」と同正面壁面「最後の審判」などを製作、ルネサンス美術の代表的傑作を残す。その動的表現はバロック様式への先駆となる。晩年、サン・ピエトロ大聖堂の設計も行う。「大辞林」)がデザインしたというキレイな制服を着ています。15〜19
世紀には色々なヨーロッパの国々でスイスの傭兵が戦っていたそうで、教皇領を守る為に勇敢に戦った彼らを称え、
1505 年にユリウス2世 Giulio II / Julius
II が創設したのが今に続いているらしいです。因みに当たり前ですが、ヴァティカン市国に軍隊はありません。その防衛はイタリアの責任です。
ヴァティカン市国の独特で非商業的な経済は、世界中のローマ・カトリック教徒からの寄付であるペテロ献金や、郵便切手及び土産物の販売、ヴァティカン博物館
Musei Vaticani / the Vatican museums の入場料、出版物(
L'Osservatore Romano という新聞も発行。因みに放送施設もある。)の販売などに支えられています。平信者である労働者の収入や生活水準は、ローマ市内で働く人々と比較すると、同じくらいか、もしくは幾分良いようです。歳入は
250億円くらいで、1993年以降は黒字です。EU加盟国ではありませんが、
2002 年よりイタリアと共にユーロを導入しています。片面に独自のデザインを施したユーロ硬貨を鋳造する許可をEUから得ているそうです。
ヴァティカン市国の世界最小の面積は、およそ 0.44 km2 で、日本の皇居の約
0.4 倍程度。『 フォレスト・ガンプ/一期一会 (1994) FORREST
GUMP 』等、よくハリウッド映画に出てくる、スミソニアン博物館
Smithsonian Institute やリンカーン記念館
Lincoln Memorial 、ワシントン記念塔 Washington
Monument などがあるモール The Mall in Washington,
DC の 0.7 倍です。人口は 900 人( 2002/07
)で、人口増加率は 1.15 % ( 2002 )。移民国家アメリカ合衆国が
0.89 % ( 2002 ) ですから、かなり高い増加率なのでしょうか?
ヴァティカン市国が、世界一小さな独立国家となったのは、 1929
年のラテラノ協定 Patti Laterano / Lateran
Treaty 以降です。 1871 年にイタリア王国の統一がなされた時、ローマ法王の統治権が少数の建物に限定され、ピオ9世(ピウス9世)
Pio IX / Pius IX とその後継者に失った教皇領に対する賠償金を年に一度支払われることになりました。しかし、ローマ・カトリック教会はこの取り決めを認めず、その賠償金も受け取りませんでした。ローマ問題
la Questione Romana / the Roman Question
と呼ばれた、これらの問題を解決したのがラテラノ協定です。法王ピオ
11 世(ピウス11 世) Pio XI / Pius XI の代表であるガスパッリ枢機卿
Cardinale Gasparri / Cardinal Gasparri とイタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世
Vittorio Emanuele III / Victor Emmanuel III
の代表であるムッソリーニ Benito Mussolini
がローマのラテラノ宮殿で調印しました。当時この偉業を成し遂げたムッソリーニ
( 1883-1945 ) は国際社会から賞賛を受けたのですが…。
ヴァティカンのローマ法王が独立国であることに拘ったのは、ここにカトリックの総本山、サン・ピエトロ寺院があるからでしょう。サン・ピエトロとは、キリストの
12 弟子の筆頭であった聖ペテロのことです。現在寺院の建っているヴァティカンの丘で、ローマの初代司教(すなわち初代ローマ法王)であった聖ペテロは
64 年に古代ローマ皇帝ネローネ(ネロ) Nerone
/ Nero ( 37-68 )による迫害で殉教したそうです。伝統的な記述によると、「主と同じ姿で十字架にかかることはできない。」と彼は逆さで十字架に付けられました。聖ペテロが神から渡された天国の鍵は、ローマ法王の力を表すものとされているので、ヴァティカン市国の紋章は鍵と法王の冠です。天国の門番である聖ペテロは、サン・ピエトロ寺院の像や他の芸術作品の中でも、鍵と本を持つ姿で表されていることが多いです。
ヴァティカン市国のサン・ピエトロ寺院を訪れて、とても感動しました。キリスト生誕
2000 年でヴァティカンを訪れる多くのカトリック教徒のために作られた地下駐車場で観光バスを降り、少しだけ歩いて見えてきたのがサン・ピエトロ広場
Piazza San Pietro / Saint Peter's Square
。広場の中央には 40 年にカリゴラ(カリグラ)
Caligola / Caligula ( 37-41 :ローマ帝国皇帝;暴虐をつくし、暗殺された。「EXCEED英和辞典」)がヘリオポリス
Heliopolis (古代エジプトの都市;現Cairo北方,Nile川に臨む;太陽神Raの信仰の中心地。「EXCEED英和辞典」)から持ち運んだという巨大なオベリスクが立ち、その向こうに美しく堂々としたサン・ピエトロ寺院が見えます。
1629〜1662 年にベルリーニ Bernini ( 1598-1680
)が完成させた 284 本の列柱からなる回廊が半円型に取り囲んだ広場の光景に圧倒されました。
ヴァティカンの丘に4世紀に建てられた木の屋根の聖ペテロの教会が、サン・ピエトロ寺院の始まりのようです。その教会でカルロマーニョ(シャルルマーニュ)
Carlomagno / Charlemagne ( 742-814 )や他の多くの皇帝や法王が戴冠したそうです。15世紀、ニッコロ5世(ニコラス5世)
Niccolò V / Nicholas V が聖歌隊席や翼廊の再建に乗り出しました。
1452 年にその作業が始まり、聖歌隊席の一部が作られました。ユリウス2世は教会の全てが再建されるべきだと決定し、
1506 年に建築技師としてブラマンテ Donato
Bramante ( 1444-1514 :イタリア盛期ルネサンスの建築家・画家。建築におけるイタリア・ルネサンス様式を完成。代表作にミラノのサンサティーロ聖堂、ローマのテンピエットなどがある。「大辞林」)を任命しました。
1626 年にウルバーノ8世(ウルバン8世)
Urbano VIII / Urban VIII によって奉納されたサン・ピエトロ寺院には、ブラマンテの後もルネサンスの巨匠たちがその造営に携わりました。
1514年にラファエロ Raffaello Sanzio ( 1483-1520
:イタリアの画家・建築家。レオナルド=ダ=ビンチ、ミケランジェロと並んで盛期ルネサンスの古典主義様式を確立した。教会や宮廷の装飾壁画、祭壇画に傑作を残し、聖母像の絵も多い。)、
1520年にサン・ガッロ Antonio da San Gallo
、1547年にミケランジェロといった錚々たる面々です。ルネサンスの粋を集めたサン・ピエトロ寺院を訪れた昔の人々は、ここが極楽浄土だと思ったに違いありません。
システィーナ礼拝堂のミケランジェロのフレスコ画「最後の審判
Giudizio Universale 」には開いた口が塞がりませんでした。(実際皆顔を上げていて、塞がっている人は殆どいなかった。)人間業とは思えないくらい素晴らしかったです。ラファエロの未完の遺作「キリストの変容
La trasfigurazione 」のコピーのモザイク(本物の油彩はヴァティカン博物館にある)もすごく美しかったです。寺院内の絵画は、蝋燭の煤や煙で汚れても掃除ができるようにモザイクでできているのものが多いのですが、その細かさに驚いてしまいました。寺院内の光の射し方はまさに天国といった感じ!
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イラストをクリックすると<Global Geografia>へ進みます。
このイラストは、<http://www.globalgeografia.com/europa/vaticano.htm>
から引用しています。
Stato della Città del Vaticano
<http://www.globalgeografia.com/index.htm> |
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イタリア政府観光局の公式本サイトへ。
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幸田幸
旅行の森てんこ森
coda_sati@hotmail.com |

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